見直される「市民の声」としてのブログ(上)

見直される「市民の声」としてのブログ(下)

民主党の大会に「記者」として招待されたブロガーに対する分析記事。
Blogはジャーナリズムなのか? 従来のメディアの記者は認めていない。
それでもなお、「正統派」ジャーナリストたちは、ブロガーを見下している。かつて紙媒体の記者たちがオンライン・ニュース専門の記者をさげすんだのと同じように。彼らはブログに監督者がいないこと(つまり自由だということ)に唖然とすると言う。ブログには編集の手が入らない。客観性も約束しないし、事実関係をチェックする者もいない。また大半はジャーナリストとしての訓練を受けていない――まるで、ジャーナリズムに携わるのに免許か何かが必要であるような言い草だ。こうした正統派的な考え方でいくと、ブロガーはまったく信用できないということになる。
それに対して、ブロガー側はこう考える。
 ブロガーたちの場合、この役目は相互に担われている。つまり、ブログ界全体が、実際に、編集者も事実チェック担当者も抱えているのだ。
 個人では誤ることもあるかもしれないが、人々が集まってできた集合体ではおそらく間違わないだろう。ある時点から、ニュースは一方的な講釈ではなくなった。対話になったのだ。何がニュースであるのかを一方的に伝えるメディア大手に代わり、われわれが調和のとれた集団として判断し、面白いと感じる記事や投稿へのトラフィック量を増やすことで、出版側への評価とする。
この記事では、非常に楽観的にとらえていますが、blog=ジャーナリズムとはいえない側面もあるのでは?
一部の人たちによって、間違った情報、意図的な嘘が流されることも考えられますから。
実際、今のアメリカでは、極右が誤った情報を流し、人々に信じ込ませることに成功している現実があります。
アメリカでは半数の人がアルカイダとイラクは関係があると信じているそうです。