stars ケータイ小説的文化と背景

しばらく前に読み終えていたのだけど、自分の中で消化出来ていなかったが、そろそろ書かないとまずいかな、と思い、まとまらないながら書いてみる。
本書は、昨年出版業界を席巻した"ケータイ小説"の深層に第一種接近を試みる力作。

まずは第一章でケータイ小説におけるあゆこと浜崎あゆみ氏の影響を指摘。その浜崎氏の詞の源泉に迫る。その中で紡木たくの『ホットロード』の影響について述べる。
そう言えば、妹の本棚に『ホットロード』あったよなあ、と思い、妻に「ホットロードって読んでた?」と聞いたら、「読んでたよーバイブルだもん」との回答。なるへそ。

第2章ではケータイ小説的リアルについての絞殺。じゃなくて考察。『恋空』がブームになったとき"実話"と"リアル"についてネットの極一部で論議が巻き起こったが、そのまとめ的考察が行われている。
特に、ティーンズ向け雑誌とケータイ小説的リアルの親和性についての指摘は、別所でも読んだのだけどURLが見いだせなかった。
個人的には年齢と知識・経験に比例して「リアル」の閾値は高まるよね、と思っている。
あと、やはり"実話"と言うのは受け手に何らかの作用を与えるのは間違いないだろうとも。例えば、「人史松本の滑らない話」でも実話であることが強調されるのはそう言うことなんだと思う。そして、その実話効果に騙されるのはケータイ小説的読者であるティーンズに限らず、いい年した人もまた。すぐに思いつく例としては「一杯のかけそば」。それに未だに一定の勢力を保っている「本当にあった」系の4コマ雑誌とか。

第3章になるとケータイ小説を生み出した郊外型文化について。郊外文化批評家の名に違わず、力強い考察が綴られる。特に気になったのは『頭文字D』に状況と言う憧れがない点及び、復活する地元つながりか。個人的には『莫逆家族』と言う漫画を思い起こさせる。
P156,157に地域別売り上げの比較があるけれど、さすが愛知、偉大なる田舎名古屋、日本最大の地方都市名古屋を域内に抱えているだけあって圧倒的であった。

第4章において恋空をアダルトチルドレンによる(妄想上)の恋人殺しに転換してしまう。その手並みは見事としか言えない。

ケータイ小説を読み解くことで、その深層にある文化と変化について力強い考察をしていてうなづかされる部分、気づかされることが多い評論だった。ただ、残念ながらケータイ小説を一編も読んでおらず、また、ケータイ小説の読者層と交わりがない俺には何処までがリアルなのか判別できないのあった…

hReview by tomozo , 2008/09/15

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