他人を見下す若者たち 速水 敏彦 講談社 2006-02 by G-Tools |
まず、最初に読むべきは後書きです。
この仮説と言うよりは一種の私自身の思い込みを、心理学と言う土俵の上で縦糸と横糸として織り込んで、できるだけ誰もが納得のいく形にして人間理解に繋げたいと言うのが本書を書くきっかけである。
ここで示した見方は、まだ心理学界で十分に認められたものとは言えない。実証的研究は二、三年前から私の研究室のグループが始めたばかりである。これは謙遜でも冗談でもなく、事実である。以前読んだ『下流社会』と同じ、あとでネタ晴らし。仮説でも思い込みでも構わないけどそういうことは前文で明示的に宣言してもらいたい。
内容(「MARC」データベースより)まず、この前提がおかしくないだろうか?確かに新聞・メディアは「暴走する若者」が氾濫しているが……これは実態をそのまま表しているわけではない。
やる気がなく、謝まらず、他人を軽視し、すぐキレる若者たち。そして、根拠のない有能感に浸る若者が増えている−。教育心理学の研究データが示す新しい日本人像を紹介しつつ、その変化の最も根源的な要因を追究する。
こちらのサイトを見ていただきたい。
反社会学講座 第2回 キレやすいのは誰だ若者たちは凶暴化しているわけではなく、寧ろ年々おとなしくなっていることが分かる。ちなみに、それを裏付けるデータも文中にある。 前提に誤りがある事から、筆者の主張に重大な瑕疵があると言うことが言えるだろう。これはもう、一目瞭然。おおまかにいって、昭和40年代を境に、少年の凶悪度には著しい差があります。それに昭和50年代以降、統計上問題になるほどの目立った変化はありません。たった一、二件の残虐な殺人事件を、マスコミが大袈裟に騒ぎ立てることで、いかに大衆に誤ったイメージを植えつけることが可能か。情報操作の恐ろしさを、まざまざと見せつけられます。
と言うか、世間知らずで傲慢なのはいつの時代の若者にも共通しているんじゃないかなあ、と思う。振り返れば、昭和初期なんかもテロルやクーデターなんかも頻発してるし。
速水氏を弁護するとすれば、速水氏は若者特有の問題ではないのでは?と言う疑義を所々に出している。検証していないけど。 にもかかわらず、このタイトル、この内容となったのはきっと出版社の意向ではないだろうか。ほら、若者叩きっていい商売のようですから。邪推ですが。
殆どは読むに耐えない内容だが、第6章だけは興味深かった。観察者や視聴者は誰もが解説者のような気分になり、上から見下ろしているような錯覚に陥る。原因帰属の研究で、行為者より観察者は、行為者の行動の原因を行為者自身の要因に帰しやすい、と言う知見があるが、観察者になる機会が多いと、実は自分の事を見つめようとせず、代わりに直接知らない他者の表面的な欠点などが、多いに気になるようになる。(p.142)これなど、インターネットを見て回ると良くある光景のように思える。ただ、こういった観察者は別に若者に限ったことじゃないよな、と思う。
まあ、それなりに売れているらしいし、書店で平積みにされているのもよく見る。しみじみ思うのは、見出しの勝利、ってことでしょうか。
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