禁煙ファシズムと戦う
最初に断っておくと、俺は喫煙者。マルボロを一日一箱ほど吸う。
ただし、灰皿のないところでは吸おうと思わないし、煙草が苦手な人の前で吸うような人でなしな事はしない。自分の吐いた煙でさえ、自分にかかれば煙い。ましてや吸わない人なら、と言うぐらいの想像力とマナーはわきまえている。
だから、健康増進法と云う正体不明な法律によって街中から灰皿が撤去されている現状はどうにも納得がいっていない。税金ばかり取って酷い仕打ちだと思う。更に言えば、煙草を販売しながら喫煙コーナーすらない大型店舗もある。俺は高速を良く利用するのだが、サービスエリアで休憩しようとすると灰皿は屋外にしかなく、しかも屋根すらまともになかったりする。雨の日や冬の寒い日など、かじかみながら一服しなければならない。
で、本書の内容と云えば、まず企画者の小谷野 敦氏の檄文があり、その後過去に発表された斉藤氏と栗原氏のレポートが続く。小谷野氏は自身のウェブログそのまんまの調子で、知っているものはついニヤリとするだろうが、どうにも小物に絡み過ぎる嫌いがあり、それが読者には不評なようだ。もし、これが啓蒙を意図するのなら、失敗していると云えるだろう。
斉藤氏のレポートは、淡々と禁煙運動が如何に変質したか、そしてそれがファシズムと相似しているかを描き出している。淡々としているだけに、説得力がある。
受動喫煙の実際の害については俺は検証できていないので保留する。しかし、合法的な嗜好品である限り、嫌煙者と喫煙者、双方について配慮されるべきではなかろうか。
確かに、喫煙者の俺から見ても明らかにひどい喫煙者は多い。と言うかかなり目に付く。嫌煙者の感情的な反発も理解できるが、何とか共存できんもんかな、と思う。
hReview by tomozo , 2006/01/06
- 禁煙ファシズムと戦う (ベスト新書)
- 小谷野 敦
- ベストセラーズ 2005-09
参考リンク
松浦晋也のL/D: 「禁煙ファシズムと戦う」を読む
メディアリテラシーの練習問題 ; 室井尚の奇妙な反・嫌煙運動プロパガンダ論/Muroi's Wierd Pro-Smoking argument
短信: ロンボルグ本とタバコ
俺にからめよ山形浩生 - 猫を償うに猫をもってせよこの名文は、後にテンプレと化す。なんで9月30日の日付で室井尚にからむんだ山形浩生。俺にからめよ俺に。それともあれか、俺には勝てないとか、ネットしか見ないネットバカを洗脳しようとか、そういう意図か。(それともコピペするのは楽だが本から引用するのは面倒だとでも?)
コメント一覧
singo さん
非喫煙者の立場から言わせてもらえば
タバコ税の目的税化、といいますか。
「タバコ税を公共設備への分煙装置導入に使え」といったような動きが
喫煙者からおこらないのは何故でしょう?
ただ「取り易いところから税金取りやがって」
的に被害者ぶるのは筋違いな気がします。
小谷野氏のブログも読んでみましたが
どうして喫煙者のひとはこうも筋違いな
腹の立て方をするのだろうか、という想いしか
浮かびません。喫煙者vs非喫煙者のはなしと、
税制や政治の話はちょっと別物です。
本音は
「今までどおり気軽に吸わせろ」なのか
「非喫煙者との共存」なのか。
たぶん前者でしょう。
では、非喫煙者の本音は
「喫煙者滅ぶべし」ですよ。
「吸ってもいいですか」と聞かれて
「だめだ」と言える人がどのくらいいるか
といった想像力はお持ちですか?
喫煙者は我慢しているのだとは思いますが
非喫煙者は何百年も我慢してきたのです。
sati さん
>「喫煙者滅ぶべし」
それを「ファシズム」と呼ぶのですよ。
>何百年も我慢してきた
から、滅ぼしてもよいというのですか?
同等の権利を社会的に認められているはずの喫煙者を、まるで魔女狩りのように追まわし、打ち据え、排斥するのが、非喫煙者の「正義」なのですか? そんな不平等・非文化的な思想がどうして非喫煙者の間では当たり前のようにまかり通っているのか。それを糾弾するのが「禁煙ファシズム」との戦いなのです。
ともぞー さん
singoさんsatiさんコメントありがとうございます。
タバコを拒否できないつらさ、「スモハラ」については理解しています。
「タバコ税を公共設備への分煙装置導入に使え」が政府税調によって拒否されたのはご存じないですか?
「喫煙者滅ぶべし」と言うのであれば、非合法化という方向で運動を進められたら、と思います。
「滅べばいい」というのはsati氏が仰るとおり「ファシズム」に至る道だと思います。実際、ナチスはそれを実践しました。
俺自身は、敵対するのではなく、上手く共存する道を探りたいと思いこのエントリーを書きました。
singo さん
>>「喫煙者滅ぶべし」
>それを「ファシズム」と呼ぶのですよ。
そのとおりです。そのつもりで書きました。
かつてユダヤ人はヨーロッパで「やりすぎ」ました。何をやりすぎたかは喫煙の話と関係ないので割愛しますが、とにかく
反感を持つ勢力も少なくなかったと聞きます。
でもユダヤ人は「認められている権利だから」と
その手を緩めませんでした。
結果、ナチスの台頭を招く一因になったのです。
今まで喫煙の手を緩めなかった、やりすぎたのは
喫煙者のほうだ、というのを考えてくださいといっているのです。
singo さん
もうひとつ。
>「タバコ税を公共設備への分煙装置導入に使え」が政府税調によって拒否されたのはご存じないですか?
この点については不勉強でした。
申し訳ありません。
何故、拒否されたのかが興味深いですね。
>「喫煙者滅ぶべし」と言うのであれば、非合法化という方向で運動を進められたら、と思います。
私は
>本音は「喫煙者滅ぶべし」
と書きました。本音です。タバコがもともとこの世界に無かったらよかったのに、と思います。
感情的なものです。
しかし、現在の芸術、文化などにおいて
タバコが果たしてきた役割も大きいというのも
わかります。理性的にです。
この理性のタガが外れたときに、ファッショに
向かってしまうのはわかりますね?
「本当はイヤだけどしょーがねーなー」の線を
超えさせたのは喫煙者だ、ということです。
singo さん
あとsatiさんへ
>そんな不平等・非文化的な思想がどうして非喫煙者の間では当たり前のようにまかり通っているのか
かなり感情的になっておられるようですね。
私の文脈を見てください
>「いままでどおり気軽に吸わせろ」が本音ならば
>「喫煙者滅ぶべし」が本音です。
と読めませんか?
読めなかったらすいません。
いまひとつ、喫煙者の人は
非喫煙者の気持ちがわかってないと思ったので
こういうきつい書き方をしてみました。
解決の道を探るには、ほんとうの問題点を
ちゃんと見なければなりません。
それには双方の「本音」と「譲っていい線」を
ちゃんと知らなければならないのですよ。
こういった反感が出てくるということは
つまり「いままでどおり気軽に吸わせろ」が
喫煙者の本音、ということで間違いないですね。
解決の道のりは遠そうです。
ともぞー さん
singoさんどうも
ユダヤ人迫害はナチ以前から広く連綿と続いていると言う事はもちろんご存知の上でおっしゃっているのですか?本筋とは異なるのでこれ以上は言及しませんが。
税に関しては答えはシンプルです。財務上、使途については制限されない事が望ましいからです。
俺の主題は、あくまで感情的になりエスカレートせずに、喫煙者嫌煙者が共存できるようになれないものか、と言うことです。ひどい喫煙者についても言及しているのは、喫煙者の俺から見てもひどい人・目に余る人がいる事実を認識しているからです。
認識としてはそう差がないと思っていますので、今後論を進められるなら、別途ご自身で場を設けてもらえればと思います。
singo さん
こちらでのこれ以上の論議は差し控えます。
最後に
やっぱタバコはカッコイイでしょ。
それは非喫煙者から見てもそう思いますよ。
タバコ広告の無いモータースポーツはカッコ悪い気がします。
ラッキー、マルボロ、555、etc...
F−1にあのロゴがないと変ですし。
人物もです。タバコを吹かさない松田勇作なんて考えられません。
ハードワークが終わって、
やっとタバコ一服するおっちゃんの
幸せそうな顔は良いと思います。
でもね…
というのが大半の非喫煙者だと思います。
本音とはそんなもんです。
声高にファッショを叫び、対決し、
双方排斥合戦するのは不幸です。
道を探すのをあきらめてはいけません。
そのためには相手の本音をきちんと知ろうとする
意識が必要だと思いまして書き込みました。
失礼しました。
cleanair さん
私も基本的には「共存」というのを望みます。
結局のところ、「健康増進法」が出来た時点でそれが良い悪いという議論はさておき、飲食店や会社が速やかに「分煙」というカタチを取れていれば今ほどの禁煙の声はなかったと思います。
出来れば、喫煙者の立場から「喫煙所を作って欲しい」という要望を自治体などに出してほしいです。
そうやって完全に仕切られた喫煙所で「分煙」されてこそが共存できる唯一の道だと私は考えます。
ともぞー さん
cleanairさんどうも
ほんと、きっちり分煙をすれば両者ハッピーになれると思うんですよね。
人が集まるところにある喫煙コーナーでも、非喫煙者が側を通る場所多かったりするので、その辺りも考えてもらいたいものです。
ただ、喫煙者の目から見てもひどい喫煙者が多いのでその対策をどうするか悩ましいところです。
コウスケ さん
禁煙者ほろぶべし と書いてもいいのだろう!
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